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はじめに

この記事は、自分のキャリアを振り返りながら、言語学の研究トレーニングが、一般企業内での活動にどうつながっていたかを振り返るシリーズのひとつである。詳細は以下の記事を読んでいただければ嬉しい。

仕事の概要

イギリスにてMAを取得後の私は、国立大学においてデジタル教材とその教授法を開発普及させるためのプロジェクト立ち上げ期のメンバーとして就業した。私の業務は、学習管理システム(LMS:Learning Management System)と動画教材録画編集からスタートした。パートタイムからスタートしたが、徐々に時間を増やし、最後はフルタイムでチーム全体のディレクション業務や企画、報告業務が追加になった。

 

タイトルにあるような「一般企業」ではなく国立大学法人で申し訳ない。「純粋なアカデミアではない経験」という意味で取っていただければと思う。

 

 

学生時代の私は、学部からPhD課程までずっと、言語教育の課程には在籍しなかった。興味があったのは、社会言語学や語用論、談話分析の「理論そのもの」(=言葉とはなにか、会話とはどんなか)だった。そして、それを通じて人間や社会を理解すること自身に興味があった。教育などへの応用を前提としない分野だ。それでも、教材制作の業務にとって役立つことは多かった。

 

 

じゃあどんなことが役に立ったのか。それを以下で振り返っていく。何が足りなかったかについても触れたい。

 

 

時々現れる「言語学の教育応用編」の授業が役立った

イギリスの大学では社会言語学系のプログラムに在籍していた。理論がメインの授業の中、後半に少しだけ「教育への応用」に充てられる週があった。そこでは、今まで「言語の理解や人間関係の理解のため」に発展してきた理論が、「現実世界にどう還元されうるか」を考える機会を得た。一見抽象的な知識が「役立つ」形に変化していく、そのプロセスを理解するのが楽しかった。

 

理論と応用が決して乖離していないこと、そして両者が結びついていく事例を知られた。こういったのは「机上の空論」と考えられてしまうかもしれない。でも、職場でむやみな試行錯誤に陥る以前に、理屈だけでも理解しておけたのは良かった。実践をなるべくスマートに行うためには、常に自分のやっていることを内省し続けるのが必要だ。内省のための土台として、「学校の勉強」が大いに役立った。教材制作プロジェクトのためにも当然役立った。

 

教材制作だけでなく、ビジネス全般の分野への応用にも同じことが言えるのではと考えはじめた。そう思い、後にコンサルティング会社における言語学の応用実践につながる。

 

余談だが、論文の指導教官が言っていたことで、なるほどと思うことがあった。つまり理論化というのは、脱文脈(de-contextualisation)である。そして応用とは抽象的な概念を再度新たな文脈に戻すこと(re-contextualisation)である。一度抽象化のハシゴを登ることで、具体レベルでは見えなかった、異分野との共通点が見えてくる。遠くの「現場」まで見渡せるようになる。その新領域での応用可能性が見えたら、少しずつ試行錯誤しながら改善サイクルを回し、抽象的だった理論を新しい現場になぞらえて再解釈していく。PDCAを回して、なじませていく。こうすれば、関連のなさそうだった本やら論文やらが、急に示唆に富んだ情報の宝箱のように見えてくる。(昔々、数学は単なる抽象的な学問だったと聞いたことがある。それが物理法則等に応用できることに気づいた人物は、きっと数学が宝の山に見えただろうと思う)

 

言語学的概念・理論そのものが、教材コンテンツ戦略に役立った。

言語学関連の用語を理解していることは、当然ながら教材作成をともに進める語学教員とのコミュニケーションに役立った。言語が持ちうる文法一般を理解できていれば、英語でも日本語でも出てこない文法用語も理解可能だ。文法の概念を理解していない状態では、教材制作の要件定義がままならない。受注したものを正確に作れず工数がかさむばかりか、何を作れと言われているのが想像すらできなかったはずだ。

 

 

受注生産ではなく、我々からコンテンツを企画提案する際にも役に立った。つまり、言語学的な知識が、マーケティングでいうSTP分析を行う際のセグメントとして機能した。言語習得に必要なスキルの全体像をマトリックスで整理するための軸として、切り口として役に立ったのだ。

 

例えば、音声知覚軸(難・易)と意味理解軸(難・易)で4象限を作れば、音声のスピードが遅いリスニング教材の中に、語彙文法が簡単なものがあるが、難しいものは含まれていないと気づいたりする。その場合、単語文法知識はあるのに、音がくっきり耳に届いていないような学生を担当する時に、効果的な教材が存在しないことになる(実際受験勉強ばかりで、知識が十分なのにリスニングができない学生は多い)。学習上の課題(潜在的なニーズ)があるのに、供給スべき教材が無いのだ。これがわかれば、ターゲットを絞った教材開発ができる。このような具合で、STP分析におけるセグメンティングのために、言語学的な知識は非常に役立った。

 

 

リサーチ能力=知的生産業務の基本

研究のためのトレーニングは、知識を身につけるだけではなく、技術を身につけることも含む。すでにある情報を探し出し、正確に吟味したうえで分析統合し、まとめるという作業は、人間の知的生産の根幹をなす。これは当然、教材開発の業務にも役立った。

 

2014年当時、全国でも取り組みはかなり稀であり、英語の文献でも数が限られていた。基盤になるような前例がない状態で、Blended Learningに関する論文をまとめたり、それ以外に役立つ情報を探し出してまとめる能力が役立った。継続的な情報収集によって、オンライン授業そのものの理解と設計が実現し、どこにどんなデジタル教材を用意すべきかなど、授業のコンテンツ戦略に役立てることができた。このようにあるプロジェクトを「ほぼゼロ」の状態からスタートする上で、リサーチ経験のある人材は役に立てると考える。さらに博士課程等を経験していれば(私は当時修士を終えたばかりだったが)、未知のことに対する耐性も一層強いだろうと思う。

 

 

成果をすばやくまとめ、レポーティングしつづける能力と体力

職場である大学は非営利な団体だと思うが、一定期間での成果物が求められる。1年以内に成果が出なければ任期が切られたり、そもそも雇用のもとになる予算が取れなかったりする。その点では、後に経験する一般企業での要求よりも十分厳しいものを経験した。このプレッシャーは、経済的にも体力的にもシビアだったイギリスの修士課程時代を思い返せば、(たまの深夜残業はしんどかったが)なんとかこなすこともできた。

 

大学院では大人数の前で、適切な英語を使ってプレゼンテーションができる自信もついていた。特に専門家に試問されることには大学院である程度慣れるので、同僚にもあたる大学教員の前や他大学の視察者の前でも発表するというのは、他の修士号取得者にも言えるだろうし、修士課程途中に身につける目標の一つして据えるのも悪くない。

 

 

役に立たなかったこと/考え方の修正が必要だったところ

「原理の説明」が求められないこともある

同僚とのコミュニケーションでひとつ、印象に残っていることがある。

 

私が原理を説明するのに対し、同僚は表層のみをてっとり早く理解したいだけで、ミスコミュニケーションが数回発生したことがある。

 

例えば、私は動画制作を主に担当していたため、併設スタジオの配線等の設計をしていた。狭い部屋なのでたくさん機材をおけず、使用する機材が変わったり外部に持ち出して抜き差しするたびに配線も少し変わる。そのため、どこのコードとどこのコードが常に同じ映像を出力するのか等、簡単ながら機材のスイッチやツマミ等の「関係性」を理解するのが大切と感じていた。それゆえに私は「仕組み」だとか「からくり」を説明したのだが、「どのスイッチをおしてどのつまみを回せばいいかだけ教えてほしい」との要望を受けてしまった。

 

その説明は、今日明日は通用しても、来週は通用しない表層的な情報だ。私がそれまで生きてきたのは理論の世界で、表層の現象ではなく、奥に隠れた法則を理解しようとする癖が完全についていた。しかし皆がみなそうでないことに気づいた瞬間だった。

 

私は未だに、「原理を理解するほうがBetterだ」と信じてはいるが、相手の信じるものを知ってさえいれば、より効果的に仕事を済ませられただろうと思う。知らぬ間に同質的な人間が周りに居て、それが当たり前だと感じ始めていたことに早い段階で気づくことができた機会だった。

 

 

その他の発見

ディレクション・マネジメントには気を使う

ディレクション、マネジメントの一定の経験はここで持てたと思う。同僚との距離も近くマネジメント感も出さぬよう努めつつも、上長にそれぞれのパフォーマンスを報告することもあったので、チームとの接し方も含めて諸々考え実践する機会になった。

 

 

効率のための業務デジタル化

またこの辺りからデジタル技術による業務効率化を積極的に考え実施するようになった。元は、学習のために取り入れている技術を理解するために、自分たちも使ってみようと思って始めた。わざわざ報告という形式を取らずとも私から先に異常を検知しやすくしたかった。業務の割り振り等も、メンバーが取り込み中だとワンテンポ遅れてしまう。

 

 

気を使わないための、クラウドToDoリストの導入

上記に書いたように、管理感を出さずにチーム内の業務内容や進捗を常に把握したかった。チームメンバー感で使用できるTo doリストを導入した。最適なものとして、無料のProducteevというアプリを探し出すことができた。このアプリでは、振っておきたいタスクは、簡単な説明とともにパソコンやスマホからアサインができる。後からそのタスクを見ながら説明できるし、相手が気づいて質問してくれることもあった。タスクのたまり具合は一目でわかるので、仕事の分散にも役立った。小さなチームなので、わざとタスク多く設定してサボる、ということも起きにくい(暇そうにしているとすぐわかる)。各タスクにメモ機能がついているので、そのタスクに紐づく相談をそこで行えば(口頭で相談した場合はメモを書き込めば)途中で迷ったことや調べたことのログが残り、知識としてストックできる。すべてオンラインでアクセスできるので、誰かが教室へ補助に出かけていても参照できる。

 

この導入運用がうまく行ったのが楽しく、ここから学習と業務のDXに興味を持ち始めたのだと思う。

まとめ

このような形で、「どうやら学術活動以外にも学術の理論や研究関連の技術が役立ちそうだ」とこの頃から感じ始めた。それまで学術的な道を歩んできた大学院生が、企業内で受けるカルチャーショックを軽減するためなどなど、何らかの参考になれば嬉しい。

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